今、さくらももこさんのエッセイ「そういうふうにできている」を、パラパラと読み返しているところです。
これ、やっぱり面白いです。
初めて読んだのは十数年前ですが、久々に笑わせてもらいました。
先日、作者のさくらももこさんが他界して、悲しみのあまりボーっとしていましたが、ちょっと気力がよみがえってきました。
(前回の記事はこちら⇒さくらももこさんを偲んで。ちびまる子ちゃんとの想い出。)
このエッセイは、さくらさんが妊娠・出産したときの体験をつづったもの。
不思議なことに、出産の経験も予定もない私が読んでも、楽しめる内容なんですよね。
「ふーん、妊娠中って、こんな気分なんだ」
「え?出産ってこんな感覚なの?」
こんな風に、自分が体験していない分、未知の世界を内側からかいま見せてもらっているようでした。
40代未婚の私が、どうしてここまで楽しむことができたのか。
その理由について触れたいと思います。
子どもを産む人生も、産まない人生も楽しい。
私がいいなと思ったのは、最終章「出発」の以下の文。
長くなるけれど、引用しますね。
子供が生まれるという体験は、子供を産まなくてはできないが、子供を産まないつもりの人や子供ができない人の場合は、子供のいない人生という体験ができる。これはこれで、子供を持った場合とはまた違う楽しみが体験できるという事なのだと思う。
(中略)
子供を持たぬ人生も、持った人生もどちらも面白そうだと思うが、両方いっぺんに体験する事はできないので仕方がない。私は持つ方を選び、幸い子供に恵まれた。だからその方向でじっくり楽しんでみようと思っている。
「子供を持たぬ人生も、持った人生もどちらも面白そう」
これはつまり、子供を産まないつもりの人や、子供ができない人にも、心を配っているですね。それはさくらさんの優しさ故でしょう。
さらにこのエッセイの文末は、こんな風に結ばれています。
最後にもうひとつ。私はこのエッセイを、出産を勧めるために書いたのではなく、また勧めないために書いたのでもない。ましてや何かの参考にして欲しいと思ったわけでもない。
ただ単に、“妊娠・出産”という私の身にふりかかった珍奇で神秘的な出来事を皆様に聞いていただきたかっただけである。だからこれを読み終えられた今、何も得るところも無かったと思うが、私のエッセイとはそういうふうにできているのである。
俯瞰して書かれたエッセイだから面白い。
さくらさんの妊娠・出産の話を、独身の私が面白く読めるのは、さくらさんが俯瞰して一連の出来事を書いているからでしょう。
たとえば、です。
さくらさんが妊娠・出産の渦中の只中で、生々しい体験談をつづったとしても、それに深く共感できるのは経験者だけだと思うんですよね。
主観だけでどっぷり書かれている文章というのは、部外者をシャットダウンして、読みづらいもの。
「子どもを産むってこんなに素晴らしいのよ!あなたもぜひ!」
と、出産したばかりの人が握りこぶしつくって力説したとしても、出産を体験したことない人、まして体験できない人から見れば、「はあ?」と呆れそうになります。
私だったら、顔に縦線が入ってしまいそう。それこそ、ドヨーンとしている時のちびまる子ちゃんみたいに(笑)
ところが、ですね。
さくらさんが視点をひょいっと羽ばたかせることによって、視野に柔軟性とゆとりが生まれます。
客観的にちょっと引いたところから文章を書くと、深刻な出来事さえも笑い飛ばせるようになります。
そして何より、同じ経験をしたことがない人にも、響きやすくなります。
そこに書かれているのは、子どもを産んだことがある人もない人も、同じ地球の上で平等に立っているような世界観ですね。
さくらさん自身も俯瞰することの大切さについて、あとがきで次のように語っています。
妊娠・出産という体験は、日常生活の中でも珍事であり、肉体的にも精神的にも色々な出来事が起こり、振り返ってみるとおかしな事が多かった。だが、このような事は妊娠、出産だけでなく、そもそも日常のあらゆる出来事に言える事で、振り返ってみると笑い飛ばせる事が多い。渦中にいる時にやたら深刻になっているだけにすぎないのだ。そう思うと、あらゆる出来事の渦中にいる時にその流れを俯瞰で見る事のできる冷静さを持つ事は非常に大切である。
「そういうふうにできている」は、妊娠・出産に縁がない人にもおすすめ。
以上、さくらももこさんの妊娠・出産エッセイ「そういうふうにできている」について語ってみました。
俯瞰することって、大切なんですね。
私は日常のささいなことでも、渦中に巻き込まれたように深刻に考えてしまう癖があるので、笑い飛ばせるような軽やかさがほしいなと思いました。
さくらさんのこの視点は、ブログをはじめとした文章を書いている人には、参考になるかも。
エッセイ自体も、妊娠・出産に縁がない人にもおすすめです。
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