私が大学生の時、他大学の教育学部の授業にもぐり込んでいたことを、以前このブログに書きました。
(こちらの記事です⇒女性一人で世界一周旅行へ。どこで生きようと大切なのは「覚悟」)
今日はなかでも、特に印象に残っている授業について紹介します。
「権利の熱気球ゲーム」についてです。
小学校や中学校の道徳の授業で取り扱っている課題だそうですが、大人が遊び感覚でやっても面白いです。
むしろ、大人だからこそ、考えてみたい内容です。
そんなに難しくないと思うので、気軽に読み進めてくださいね。
権利の熱気球ゲームの内容
想像してみてください。
あなたは熱気球に乗って、空を旅しています。
あなたの手元には、10個の重い権利があります。
A.きれいな空気を吸う権利
B.自由にできるお金をもつ権利
C.みんなと異なっているところを認められる権利
D.いじめられたり、命令・服従されない権利
E.毎日、十分な食べ物と水を得る権利
F.遊べる(休養できる)時間をもつ権利
G.毎年、旅行をして休暇を楽しむ権利
H.正直な意見を言い、それを聞いてもらう権利
I.愛し、愛される権利
J.私だけの部屋をもつ権利
ところが、熱気球は乱気流に巻き込まれて、大海原のど真ん中で急降下しはじめました。
このまま飛び続けるには、重い権利をひとつずつ手放さなければなりません。
どの順番で捨てていきますか?
(あなたもよかったら、考えてみてください。
どうしても大切にしたい権利だけが、最後まで手元に残っているはずです)
権利の熱気球ゲームを、大学生の時にやってみた感想。
私が他大学の授業で先生からこの話を聞いたとき。
まずは生徒一人ひとりが、権利を捨てていく順番を考えました。
それから5人ぐらいのグループになって、捨てていく順番を発表しあいました。
「ごめんなさい。私、モグリなんですけど、一緒になってもいいですか?」
テヘヘと笑って、周りの人に打ち明けたところ、快く輪に加えてもらえてよかったです。
(何人かモグリの人がいたから、意外と歓迎モードでした)
で、生き残るためにはどの権利を捨てて、どれを残すか、ディスカッションしたのですが、とても面白かったです。
「それでも、お金は捨てがたいよね」
「いや、どんなにお金に恵まれていても、愛がなくちゃ生きていけない」
……という風に。
みんなそれぞれ意見が違うのですが、みんなの意見を聞いているうちに、さまざまなことに気づきました。
- どの権利も捨てがたく、大切な権利であること。
- 自分以外にも、みんな権利を持っていること。
- お互いの価値観の違いを知り、受け入れていくこと。
こんなことに気づかせることが、授業の狙いだったのかなと思います。
おそらく小学校や中学校でも、こんな風に授業を進めているのでしょうね。
大人だから考えたい…自分が生きるための人権について。
私が約20年ぶりに「権利の熱気球」について考えてみたところ、次のような順番になりました。
J→G→F→B→E→A→C→H→D→I
(右に行くほど、大切にしたい権利です)
愛が最後に残っているのは、私がロマンチックだからでしょう(笑)
あなたはどんな順番になりましたか?
ところで、大人向けのこのブログに、小学校で習うような話を取り上げたのには、訳があります。
「いじめられたり、命令・服従されない権利」
「正直な意見を言い、それを聞いてもらう権利」
大学生の頃には、さほど重要視していなかった権利が、40代になった今、とても大切な権利だと感じるようになったからです。
社会というところはある意味、理不尽なところがあります。
会社で陰湿ないじめに遭っても、文句が言えない。
正直な意見を言えない空気が、職場内に漂っている。
こんな経験をしている人も、なかにはいるかもしれません。
体が生き残ればいいと思って、心を殺している人だっているかもしれません。
こういった現実を考えてみると、子どもの頃に受けた道徳の授業ほど、無意味なものはないんじゃないかと正直思います。
(道徳の授業が役立っているなら、大人の世界はもっと平和なはずです)
でも、ね。
権利というものの存在は、忘れたくないです。
人と違う個性を持つことや、いじめを跳ねのけること、正直な思いを主張することは、勇気がいることかもしれません。
それでも、体だけじゃなくて心も生きていくためには、これらの権利を捨てることなく取っておきたいのです。
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