私は無職になって、病気療養をしていたことがあります。
そのことについては、以前もこのブログに書きましたが、今回は詳しく綴りたいと思います。
(ちなみにこちらの記事です⇒おひとりさまのアラフォーOLの私が、節約に目覚めたきっかけ。)
一人暮らしなので、24時間誰とも会わないまま、アパートの狭い部屋で痛みを抱えこむ日が続きました。当初はトイレに行くのも大変だったのに、身の回りことは全部自分で世話するしかありません。
でも、黒歴史かと言ったら、決してそうじゃないんですよね。当時の自分がいるから、今の自分がいると思っています。
似たような経験をされている方にとって、何かの励みになれば幸いです。
一人暮らしの私が無職になって病気療養をした理由
まずは私が無職になった経緯について、簡単に話したいと思います。
私は長く勤めた会社を辞めた後、わりとすぐに他の会社に就職が決まりました。
ところが、その会社が肌に合わなかったんですね。体調をいちじるしく崩し、試用期間満了をもって辞めざるを得なくなりました。
幸い、入院も手術も必要ありませんでしたが、自宅療養をすることになりました。
試用期間内は傷病手当金、退職後は失業保険で、生活をつないでいました。
病気を抱えたまま、失業保険も終了してしまったら、私はどうやって生きればいいのか。不安で、不安で、たまらなくて、社労士さんに相談に行ったこともあります。
そんな風に、藁にもすがりたい思いで日々を過ごしていました。
(余談ですが、傷病手当金や失業保険をはじめ、労働に関することで問題が生じたときは、社労士さんに話してみるのも手ですよ。役所などで無料相談会を行っていることもあります)
まるで動物。食べることと眠ることで、頭がいっぱいだった。
自宅療養していた時期をふり返ってみると、「動物のようだったな」と思います。
生活費や再就職のこと以上に、食べることや眠ることで頭がいっぱいだったんです。
キッチンに立とうとしても、包丁を持って作業し続けることができなかったので、あまり満足に食事を作ることもできません。
身体の痛みに耐えることで精いっぱいだったので、いつもぐったりと疲れていました。
そんな私の楽しみは、夜の8時に近所のスーパーに行くこと。
ちょうど閉店セールが始まるころを狙うと、割引されたお惣菜が買えるので、助かりました。わっとお客さまが集まるのも、人に飢えていた私にとっては、夜祭のようでワクワクしました。
いちばんのお気に入りはドーナツ。そのスーパーに入っているベーカリーのドーナツが美味しくて、値引きシールが貼っているのを見ると、すかさずゲットしていました。自宅に戻ると、夜だというのにコーヒーを淹れて、ドーナツを頬張っていました。
ところが、食べている間は幸せなのに、お皿が空っぽになると途端に寂しさがこみ上げてくるんですよね。
「エルビス・プレスリーは、ドーナツの食べ過ぎで亡くなったんだって」
高校時代の友達が、そう言っていたことを思い出しました。
(ちなみにその友達は、こちらの記事にも登場するA子ちゃんです⇒一人暮らしで寂しい夜は、プライベートな時間を大切に。)
「私もドーナツが原因で、死んじゃうこともあるのかな」
ドーナツを食べただけで、なんて大げさなんだろうと、今なら笑い飛ばすことができますが、当時はふとした拍子にそんな疑念がわき上がることもありました。
「生きるか、死ぬか」
そのことが頭の大半を占めていました。
まさに動物のようでした。
失業保険が切れる間一髪のところ、運と縁で再就職できた。
そんな泥沼のなかで這いつくばっていた私にも、ある日救いの手が入ります。
自宅療養を開始して3か月くらいが経過したころ。病状も落ち着いて、だいぶ家事もできるようになったころ。
「もしよかったら、仕事を紹介してあげるよ」
と言って、知り合いが声をかけてくれたのです。
私は生活全般を問題なくこなせるようになってから、その会社に再就職しました。
失業保険が切れるか切れないかという、間一髪のタイミングでした。
入社当時、体調に気遣ってくれた社員の皆さんには、本当に感謝しています。かえって頑張りすぎて、空回りすることもありましたが、周りの人に見守られて回復しました。
(私の空回りっぷりは、こちらの記事にも書いています⇒まだ40代?もう40代?アラフォー独身OLでも成長するのは楽しい)
今では正社員として、その会社に勤め続けています。
私がここまで来られたのは、「運」と「縁」としか言いようがありません。
「からだの切なる声に、耳を澄ます」
ともすれば暗い話にお付き合いしてくださって、どうもありがとうございます。
でも、最初にも書いた通り、当時の自分がいるから、今の自分がいると思っています。
- 食べたい
- 眠りたい
- トイレに行きたい
そんな生理的な欲求に、たった独りでとことん向かい合ったのは、後にも先にもこの時だけです。生きるか死ぬかというところまで、行き着きました。
もちろん、生活費が欲しいとか、仕事が決まればいいという、安全に関する欲求もありましたが、生理的な欲求はそれをドンと上回るくらい強かったです。
そんな生々しい欲求が満たされないと、惨めでたまらないですよね。
それでも欲求そのものは、恥ずかしいことでも悪いことでもありません。
欲求と向かい合っていったことが、社会復帰する原動力になりました。底力と言ってもいいかもしれません。
そもそも身体が資本です。土台である体力がなければ、家事も仕事もできません。
「からだの切なる声に、耳を澄ます」
これが本当に、基本だと思います。
今、職を失くして、しかも病気を抱えている人は、辛い状況かもしれません。
心が折れてしまうことがあっても、おかしくないですよね。
それでも、からだの欲求には素直に耳を傾けて欲しいな……と思います。
世界にたったひとつしかない、からだですもん。
どうか大事にしてあげてくださいね。
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