「寂しい人」と「寂しくない人」の違いについて、ずっと考えていました。
たとえば一人暮らしをしていて、「寂しくて耐えられない」という人もいれば、「寂しくても大丈夫」という人もいますよね。
「寂しくないし、一人の方がいい」という人もいれば、「寂しさなんて、実はよく分からない」という人もいるかもしれません。
この違いは、一体何なんだろう……
この違いがわかっていれば、寂しくても、寂しくなかったとしても、自分と人と比較して悩むこともなくなるような気がします。
「私はすごく寂しいのに、あの人は寂しそうに見えないのは、なぜ?」
とか、
「全く寂しさを感じないのは、人としておかしいのかな?」
という風に。
「寂しい人」と「寂しくない人」の違い。
私なりに考えてみたので、もしよかったらお付き合いください。
寂しさの違いは、自覚度と受容度の違い。
「寂しい」と感じるか、感じないか。
その違いは、一般的には、「自分の感情にどれだけ気づいているか」だと思います。
でも、自分と誰かを比べることなく、本当に楽になるためには、「自分の感情をどれだけ受け入れているか」否かが、重要になってくると思います。
これだけ言っても、わかりづらいですね。
ちょっと、図解してみますね。
上の図をご覧ください。
寂しいと感じている〈自覚度〉を、縦軸。
寂しさを受け入れている〈受容度〉を、横軸。
自覚度の高・低と、受容度の大・小を、それぞれ二つに分けたとき、四つのタイプが生まれます。
B:さみしさを、受け入れている。
C:さみしくないし、受け入れてもいない。
D:さみしくないのを、受け入れている。
A~Dのそれぞれのタイプについて、簡単に説明しますね。
Aタイプ:さみしさを、受け入れられない。
寂しさの自覚度:高/受容度:小
一般的に「さみしがりや」といえば、このタイプ。
人肌恋しいのに、ひとりでいる現実を受け止められなくて、欲求不満になっている状態ですね。
でも、自分のさみしさをちゃんと自覚しているという点では、自分の心に素直なのかなと思います。
Bタイプ:さみしさを、受け入れている。
寂しさの自覚度:高/受容度:大
どんなにさみしさを抱えていたとしても、大らかに受け入れているタイプ。
人間として深みがあると思います。
私自身はこのタイプに憧れます。
Cタイプ:さみしくないし、受け入れてもいない。
寂しさの自覚度:低/受容度:小
さみしさを感知していないのなら、それを受け入れていないのは、当たり前(笑)
問題なのは、自覚していない寂しさを抱えている場合です。
何かのきっかけに、孤独感がわっとこみ上げてしまったら、受け皿がなくて大変かもしれません。
自分の心と体が繋がっていなくて、チグハグな感じがするのも、このタイプに多いかもしれません。
Dタイプ:さみしくないのを、受け入れている。
寂しさの自覚度:低/受容度:大
一人でいてもさみしくないけど、そんな自分も受け入れているタイプ。
ウェットというよりも、ドライ。
一人でいても淡々と飄々と心地よく過ごしているのが、このタイプかもしれません。
* * *
A~Dの4つのタイプは、だれもが持っている要素だと思います。
昨日はCタイプ、今日はBタイプという風に、その時々によって移り変わることもあるでしょう。
ただ、人によっては、Aタイプが強かったり、Dタイプが強かったりと、性格的に違いがあるかもしれません。
あなたは、どのタイプが強いですか?
寂しいのはみな同じ。あとはどれだけ受け入れているか。
さて、本題に戻ります。
「寂しい人」と「寂しくない人」の違い。
正直言うと、根本的なさみしさを秘めているという点は、みんな同じだと思います。
・出会いがあれば、必ず別れがあること。
この二つの事実から逃れられる人は、誰もいません。
ただ、そのさみしさをどれだけ自覚しているか、どれだけ受容しているかで、人それぞれ違いがあるかもしれません。
大切なのは、どんなに寂しいと思っていても、あるいは寂しいと思えなくても、どれだけその感情を受け止めているか。
「自分の心を、ひとりぼっちにさせていないか」
この違いが、生きやすくなるか否かのカギのような気がしてなりません。
おそらく、AタイプやCタイプよりも、BタイプやDタイプの方が、生きやすいと思うんですよね。
「私はAタイプ(またはCタイプ)が強いかな?」と思ったら、自分の心をひとりぼっちにさせていないか、ふり返ってみるといいかもしれません。
寂しくても、寂しくなくても、あなたはあなたです。
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