ひとりぼっちで寂しいときは、どんなときでしょうか。
「寂しい」という単語を辞書で引くと、こんなことが書かれています。
(1)あるはずのもの,あってほしいものが欠けていて,満たされない気持ちだ。
(2)人恋しく物悲しい。孤独で心細い。引用元:Weblio辞書
誰かにそばにいて欲しくて、心にぽっかり穴が開いている状態を、寂しいというのでしょうか。
でも、人から充分優しさをもらって、心が満たされているのに、それをお返しできないことも寂しいと、最近になってようやく気付きました。
もう、頭をガツンと殴られたみたいに、ハッとさせられました。
いちばん身近な例を言えば、
「親孝行したいときに親はなし」
ということでしょうか。
最近、それに似た状況を感じました。その時のエピソードと、どうやって心を持ち直そうとしているか、これからお話します。
元・上司との思い出
つい最近、パソコンが壊れかけるアクシデントに見舞われました。
その時のことについては、こちらに書いています。
⇒【お知らせ】当ブログの今後の更新について
⇒【お知らせ】パソコン復旧しました
今はお蔭さまで、パソコンが調子よく動いていますが、壊れそうになったときは、夜遅くまで寝ないで原因を突き止めようとしていました。
そんなとき、何度も瞼に浮かんだのが、私にパソコンを教えてくれた元・上司の存在です。
こんな風に言うと、
「フーン、会社でパソコンの使い方を教えてくれた上司?」
と思うかもしれませんね。
それとはちょっと違います。
元・上司といっても、大学生の時のバイト先の上司で、しかも業種はパソコンとは無関係のサービス業でした。
その上司はパソコンに詳しかったので、個人的に教えてもらっていました。
パソコンを教えてくれた
私にとって上司は、まさに兄のような存在でした。
「自分のパソコンが欲しい。ホームページを作ってみたいの」
と相談したとき、
「じゃあ、僕が作ってあげるよ!うちにパーツは揃っているから、箱があれば作れるよ」
と言ってくれたときは、なんて優しいんだろうと、ビックリしてしまいました。
二人で秋葉原まで、パソコンの箱だけ買いに行き、彼に組み立てをお願いしました。
そうして出来上がったパソコンは、残念ながらすぐにエラーを起こして、使えなくなってしまったのだけれど……
彼はひたすら謝って、自分が使わなくなったMacのディスプレイを、プレゼントしてくれました。
私は自分でWindowsの入ったパソコン本体を買って、りんごマークのついているディスプレイに繋げました。
「Macのディスプレイに、Windowsのパソコンって、本当に接続できるの?」
「うん、それは互換性があるから、大丈夫」
「へー、そうなんだー」
そう納得して、なんとも不思議な組み合わせであるパソコンで、ホームぺージ作りに挑戦。
パソコンのことで分からないことがあれば、真夜中であろうと彼に電話して、質問攻めしていました。すっかり頼り切っていたんです。
(思えば昔の私は、電話魔でした。
詳しくはこちら⇒一人暮らしで寂しい夜は、プライベートな時間を大切に。)
そして、ようやくホームページが完成。
彼がいなかったら、絶対に日の目を見ることはなかったでしょう。
今はこうして、WordPressでブログを運営していますが、ホームページ作りの経験がなかったら、このブログも存在しなかったかもしれません。
一人暮らしをはじめる励みになった
彼からもらった優しさは、数知れず。
私は十年前に一人暮らしをはじめました。引っ越すときに車を出してくれたのも彼です。
(もちろん、ガソリン代や昼食代などは、こちらで負担しています)
そもそも、実家にいて生活能力が全くなかった自分が、独り立ちしようと奮い立ったのも、彼の励ましがあったからです。
彼といっても、お付き合いしていたことはありません。
それでも、私にとって大きな存在を占めていました。
優しさを返しきれなくて寂しい
私のことばかり、長々と書いて申し訳ないです。
こんな風に、私にとって元・上司は特別な存在でした。
・パソコンを教えてくれた。
・引っ越しを手伝ってくれた。
・一人暮らしをするのを励ましてくれた。
ここには書ききれないくらい、彼からは優しさをもらっています。
それなのに、私はどれだけお返しできたのだろうと思うと、なんとも切なくなります。
最近、パソコンが壊れかけたとき、彼とのやりとりを何度も思い出しました。秋葉原までパソコンの箱を買いにいったことや、Macのディスプレイ、そして真夜中の電話のことなど。
不思議なことに、昔のように、彼に頼りたいという気持ちはなくなっていました。
「ああ、ここに彼がいれば、パソコンの不調も相談できるのに」
そう思うのではなくて、
「パソコンで困ったとき、本当に彼にお世話になったな。もっと恩返しできればよかったのに」
そう思うようになりました。
私が実際に一人暮らしをはじめた頃から、よほどのことがない限り、彼に連絡することもなくなりました。
彼からも独り立ちするようになったから、というのもあります。
ひとりぼっちで恩返しできない寂しさをどうするか
あなたも、人から優しくされているのに、それを返しきれなくて、寂しくなることはないでしょうか。
「親孝行したいときに親はなし」
私はそう、冒頭に書きました。
親がいなければ、生まれることも、育つことも叶わなかったのに、その恩を返しきれないことほど、やるせないことはありませんね。
もしも子どもがいれば、その恩を引き継ぐこともできるかもしれません。
でも、私のように独身の場合は、誰に恩返しすればいいのでしょうか。
これは何も、親子の縁に限った話ではありません。
おひとりさまの場合は特に、人からもらった恩を返しきれなくて、心の行き場を失うこともあるかもしれません。
それは生きがいにも関わってくるような問題だと思います。
ではどうすればいいか。
友達や職場の人や、遠く離れて住む家族などに対して、少しずつでも恩を返していけたらいいな……と、私自身はこの頃特にそう思っています。
あるいは見知らぬ人に、親切にするのもいいかもしれませんね。(席をゆずったり、道案内をするなど)
もともと、人からいただいた恩を、お返しするためのことです。
押しつけがましくすることなく、見返りを求めることなく、誰かに優しくなれたらと最近は思います。
あなたはどうですか?
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